【導入事例 Vol.50】
東京工業大学 准教授 金子 哲

■経歴

金子 哲(かねこ さとし)
2012年東京工業大学大学院 理工学研究科化学専攻 修士課程修了。博士課程の2年目だった2014年4月から東京工業大学 大学院理工学研究科 化学専攻の助教に就任。2016年には組織改編により理学院化学系の助教となり、2024年4月から物質理工学院 材料系の准教授。2017年から国立研究開発法人 物質材料研究機構の客員研究員、2018年から国立研究開発法人 科学技術振興機構さきがけ研究員を兼任するなど、各分野で活躍の場を広げている。これまで「単分子接合構造における表面増強ラマン散乱の信号増強機構に関する研究」で日本分光学会奨励賞、2022年には「構造解析に基づく点分子接合の物性制御への挑戦」で東京工業大学 挑戦的研究賞、2018年には井上研究奨励賞 など数々の賞を受けている。

■「光増強場を利用した単一分子界面構造の特定と制御」の研究に取り組むようになったきっかけを教えてください。

 AIやIoTが注目を集め、コンピュータで処理すべき情報は膨大化し続けています。さらにソフトウェアの進化によって、ハードウェア上の半導体素子が担う役割は日々大きくなっています。2018年、論理回路を立体的に積層できる3Dパッケージング技術などの登場で、半導体の進化の常識は覆されました。しかし情報処理を行う回路が既存のバイナリーな素子を基軸にした設計のままで進化し続けられるのかについては疑問があります。

 そこで私たちは、「電子素子」に着目しました。これまでの研究で、単一分子に素子機能を付与した分子素子は、素子サイズが減少することにより、集積密度が向上することがわかっています。ただ残念ながら、スイッチとしての素子性能は今、利用されているものと比較すると劣っているのが現状です。この分子素子をナノレベルまでサイズを小さくすることができれば、全く違う動きをするようになります。しかし今求められている技術革新の世界では、分子素子をただ小さくするだけでは要求レベルに追いつかないだろうと、さまざまな場で指摘されています。私たちは分子素子が機能を発揮できていない重要な要因の一つとして、金属と分子の接続構造があいまいであることが関係しているのではと考えています。それらをふまえて、私たちは新しい機能を持つ素子を能動的に与えることによって変えていくという研究に取り組むようになったのです。

■では、「光増強場を利用した単一分子界面構造の特定と制御」の研究について教えてください。

 私たちは振動分光法と電子輸送計測の融合計測により、物性と接続構造とを対応付ける手法を開発しました。その手法を用い、金属―分子間にどのような相互作用が働いた場合、どのように電子が輸送されるのかを研究しています。

 そこでポイントとなるのが、光増強場です。金属のナノ構造体では光がレンズの様に集まり、通常よりも強い強度を持った光増強場が形成されます。この増強場を用いることによって、通常では観測できない、分子の情報を得たり、分子の動きを制御したりすることが期待されます。

 今までとは異なり、私たちは分子素子という一つの分子に仕事を担わせようとしています。分子素子を活用するメリットはサイズが小さいため、それを集積することで計算効率が大幅に向上できるだけでなく、作製プロセスを比較的低コストに抑えることができます。これまでもさまざまな機能を発現する分子が合成されてきました。これらの分子を用いるだけでも、新しい機能が期待されますが、さらに分子と金属との相互作用により新しい性質の発現が期待されます。またさらに研究が発展すれば、分子の持つさまざまな電子状態を活用した、新しい脳型素子として活用できる可能性があります。

 私たちのこれまでの技術を否定するということではなく、ハードウェアの設計において全く別のアプローチをすることで、私たちはスーパーコンピュータや量子コンピュータとは全く異なる新たなものを作り出すことができるかもしれないのです。



図1 (a)ベンゼン単分子接合の形成および破断過程におけるSERSと伝導度の同時計測結果。3つの領域に分けられ、領域IはAu単原子接合、領域IIはBDT単分子接合。(b)ベンゼン単分子接合のI-V特性の分布。(c)I-V特性から求めたカップリング強度の分布関数。オレンジはSERSが観測された単分子接合に対応。東京工業大学ホームページより引用 (分子が金属のどこにどのように吸着しているかの識別に成功―高性能分子デバイス実現に道拓く―)。

■先生たちが作り出した、表面増強ラマン散乱(SERS)と電流計測を用いた手法について教えてください。

 私たちが開発した表面増強ラマン散乱(Surface-enhanced Raman Scattering; SERS)と電流計測を用いた手法では、実際に素子を利用しやすい室温・大気中で、単分子レベルで金属-分子界面構造に関する情報を取得することができます。通常、単分子の振動に由来した信号は非常に微弱で観測が困難ですが、金属ナノ構造体に分子が吸着した場合、SERSと呼ばれる、光増強場と分子と電極間の電子移動の効果によって、信号が増強され、単分子に由来した振動の情報を検出することが可能です。我々は分子を電流計測と振動スペクトルの計測によって分子が電極の間に架橋した瞬間の振動スペクトルの検出に成功し、さらに分子が電極にどのように接続されているかを、調べる方法を構築しました。これらの手法を用いることで、分子による素子を作製した際に、分子の向き等の接続のされ方が、電気の流し方にどのように影響するかを調べることができるようになりました。

 これまでの研究をベースに、2023年7月には高感度分子認識法への応用に期待される、「単一のπスタック二量体を識別する手法の開発」を発表しました(東京工業大学 理学院 化学系の本間寛治大学院生、金子哲助教、西野智昭准教授は、物質・材料研究機構 ナノアーキテクトニクス材料研究センターの塚越一仁博士との共同研究)。

 この研究では、分子間に働くπ電子を介した相互作用を認識する手法を開発し、相互作用の違いにより生じるπスタック二量体の構造変化を、電流信号と振動スペクトルから識別することに成功しました。本研究手法は室温中で二量体を形成する分子を識別することを可能にしています。今後、基礎科学的な知見を積み重ね、さらに研究を進めることで、化学センサーや病理解明等につながる研究にも展開できる可能性があります。素子としての応用としては、ナノ空間に閉じ込められた空間分解能の高い光を用いる光駆動の記憶素子等への展開なども考えられます。



図 2. ナフタレン二量体検出の概念図。ナフタレンの振動エネルギー電気伝導度の相関図(中央)と、図中の各領域に対応する相互作用での状態(右)。Gは電気伝導度を表し、1 G0は77.5 μSに相当する。東京工業大学ホームページより引用 (単一のπスタック二量体を識別する手法の開発 高感度分子認識法への応用に期待)

■この研究の魅力や面白さを教えていただけますか?

この研究の面白さは“意外性”があることでしょうか。設計をベースに実験を行うと、全く予測していたのと異なる現象が起きるケースが多々あります。なぜそうなるのか、という原因を特定していくなかで工夫をしたり、違う発見が得られたり…。それに化学を共通の話題に、学会や研究会で幅広い世代の方とお会いして話をすることができ、交流を通じて自分の世界をぐんと広げることもできます。

 私自身、研究者としては30代の駆け出しですが、1枚のポスターの前でコーヒー1杯だけで著名な先生との会話がずっと止まらないなんてこともあります。先ほど申し上げた通り、意外な発見があるというのは、この研究の興味深い点ですが、1つの知識をベースにいろいろな世代の方と研究についてあらゆる角度から話ができるというところがいいですね。分子はさまざまな分野で使われているので、電子材料から生体材料まで幅広い分野の方と出会えるところも魅力です。

■弊社から購入いただいたWorkstationはどのように活用しているのですか?

 分子素子の研究にはシミュレーションが欠かせません。専用のシミュレーションソフトウェアを動かすためには、高性能のグラフィックボードが搭載されたWorkstationが最適でした。購入前の構想段階からアプライドの担当者が丁寧にヒアリングをしてくれたおかげで、理想的なスペックのマシンが手に入りました。もちろん、大学内にはスーパーコンピュータがありますし、使用も可能です。ですが、使用にあたっては制限があり、手続きにも時間がかかります。ですからこのWorkstationは、大学院生たちが研究をするなかで自由にシミュレーションできる環境を持ってほしいという思いで導入を決めました。現在、このマシンは私がシステム構築を行っており、近いうちに研究室の学生たちが利用できるように開放する予定です。

■そもそもなぜこの分野の研究に興味を持ったのでしょうか?

 高校時代から実験などをするうちに、理系の分野には興味がありました。特に、私が化学に興味を持ったのは、私たちの身の回りに起こっている現象がある法則に基づいて起こっているとすると、その法則を知って組み上げられれば、誰かの役に立てるのでは、と考えたからです。ただ学べば学ぶほど、こうした分野の知識は体形的に学んでいかないと習得が難しいと思うようになりました。理解を深めていった先の世界はもっと深いだろうということで当大学の学部、大学院に進み、追及し続けた結果、今に至ります。

■これからこの研究はどういう分野で生かせそうでしょうか?

 実際、AIやIoTに欠かせないコンピュータの進化にも貢献できるものですが、この研究は病理診断にも役立つ可能性があります。例えば、身体に異常をきたすような部位がある場合、そこにくっつけられるような分子を仕込んで、そのような部位に流れたときに電気の流し方とスペクトルを計測すれば問題のある箇所を特定することができます。

 このように分子は世の中にある幅広い分野で役立てられる研究です。新型コロナウイルス感染症が発生したときには、当初PCR検査に時間を有していました。このような検査にかかる時間を大幅に短縮するための一助となることを目指して、引き続き研究に打ち込んでいきたいです。

参考URL
回路を「3D化」するインテルの新技術が、半導体の進化の常識を覆す | WIRED.jp
走査型プローブ顕微鏡の原理と応用 | JAIMA 一般社団法人 日本分析機器工業会
分子が金属のどこにどのように吸着しているかの識別に成功―高性能分子デバイス実現に道拓く―
単一のπスタック二量体を識別する手法の開発
金子 哲 | 研究者の詳細 | 公益財団法人 矢崎科学技術振興記念財団 (yazaki-found.jp)
https://www.jsap.or.jp/docs/jsap-meeting/report2016a/report2016a-symposium02.pdf